たたみの歴史
たまにゃ~~~真面目のお話も
畳の歴史は、古事記によると神武天皇の御製(句)に出てきます
『阿斯波良能、志邪志岐夜邇、須賀多々美、伊夜佐夜斯岐弖、和賀布多理泥斯』
アシハラノ シケシキオヤニ スガタタミ イヤサヤシキテ ワガフタリネシ
今風に言えば
『葦原の中にある葦小屋に綺麗にした多々美を敷いて二人で寝た』って
意味でしょうね(おネェ~ちゃんとかな?)
紀元前660年前のことです今から2675年前です
その時、畳(たたみ)は多々美(たたみ)と書かれています
日本における畳の歴史は日本と一緒に歩んできていますね
今のような畳になったのはいつからとなると、
記述には1175年に書かれた物に、日本の住宅は板床で
寝具として、折薦畳2枚、蓆2枚とあります
萱や葦等の固い草で編んだものと思われます
貴族の住む寝殿造りも畳2枚ですからね
お金持ちは草を編んだものに布で縁取りをしたそうです
室町時代になり建築様式も寝殿造りから書院造りへと変わり
次第に貴族・武家・寺院は茶室を作るようになります
京都慈照寺の東求堂堂仁斎は、初期の茶室と言われており
茶室の床には畳が敷き詰められていたとされています
1486年今から529年前です
ここでやっと部屋に敷き詰める畳の形ができてきました
特定の部屋でのことです
住宅内では座るとこだけに畳を敷きそこに座る
寝るときには寝具の下に敷くなどです
室町時代末期になり庶民の家でも藺草を編んだ蓆を使いだします
安土桃山時代になると住宅様式も数寄屋造りができてきます
次第に畳を敷き詰める部屋も多くなってきて、基準がなく
大きさがバラバラだった畳にも統一性ができ基準ができるようになります
1588年今から427年前 住宅の畳割寸法です
丈6尺3寸、幅3尺1寸5分これを基準に柱を立て、家を作ります
京間畳の誕生です
(江戸間畳・中京間畳についてはまた今度書きます)
一般の家に畳の敷詰めが流行りだしたのは
元禄文化の頃とされています
武家・富裕層商人の家では、家中畳の敷詰め住宅が、おおくなります
1690年頃 今から325年前
庶民はまだまだ寝具の下に一枚敷く程度です
それより次第に敷詰めが多くなっていきます
畳が住宅全般に普及するのは明治維新後です
この時から畳屋さんの黄金期がはじまります
そして平成になりフローリングに押され
衰退期となります
さて、今後・・・・初心に帰り寝具としての道がいいのかもね
追伸
畳とは、字の由来としては『かさねる』の意味で
古事記によれば
【皮】【絁(あしぎぬ)】【藺草】【萱】【葦】
等を重ねて八重に敷いたものを呼んでいたそうです
文献によれば、虎の皮8枚重ねたものも畳と呼んでいたそうです
畳は本来、一つの物ではなく、敷物8枚重ね合わせた物だったのでしょうね
平安時代でも薄い茣蓙や蓆を何枚か重ねて使てったとのことです
座るときに持ってきて敷くからだとされています
今の座布団と同じだったのかな
それが、住居の変化と共に寝室の固定化
居間での主人の座る場所の固定化により
動かすことがなくなったことにより
段々厚くなっていったと文献に記されてます
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